kkamegawa's weblog

Visual Studio,TFS,ALM,VSTS,DevOps関係のことについていろいろと書いていきます。Google Analyticsで解析を行っています

NiftyのTTY終了

ページが見つかりません:@nifty
もうあっちこっちで出ているでしょうけれど。私の場合、社会人になって速攻でクレジットカードを作り、最初にやったのがPC-VANとNiftyへの入会でした。大学時代は寮生活で、量の中で通じる構内回線があり、独自の電話線とか引けなかったんですね。日経mixも有名だったけれど、アクセスポイントが他の二社と比べて非常に少なかったので、あきらめました。
Niftyのデビューは忘れもしないC言語フォーラム(FC。もちろん最も短いフォーラム名)。FPROGから分派してできたと記憶しています。FCでの京都お花見オフがたぶん初めてのオフだったかもしれません。のぶさんのところに泊めてもらって、えびぞり(笑)状態でPC使ったのはいまだに覚えています。
モデムはちょうど2400bpsのものが主流になった頃で、2400→9600→28800bpsと移行。私の使っていたアクセスポイントの対応が遅かったので、14400bpsはほとんど使わなかったかな。ノートパソコンではカードモデムとして買いましたが。
当時は「混んでいるけれどちょっと早いROAD-7」「遅いけれどすいているROAD-2」で、チャットの時はROAD-2、少しでもアクセス時間を短くしたいときはROAD-7とかの使い分けをしていた人が多いようです。私の場合、田舎で東京ほど回線が混んでおらず、市外通話だったので、一分でも短くするということでROAD-7を主に使っていましたけれど。
それからFWINDOWSができて、メインの場をそっちに移動。お仕事でWindowsのプログラムを作らなくてはならなくなって、相談できる人は周りに全くなし。頼りは「プログラミング Windows 3.1」のみだったので、とにかくいろんな掲示板をみて、そして答えて知識を吸収して行きました。
もちろんそれだけじゃなく、夜な夜なチャットをして電話代と課金に目の玉を丸くしたのもいい思い出です(^^;。テレホーダイがなかったときは…月2万くらいだったかなぁ。馬鹿ですね(笑)。チャットやるとタイプが早くなるとはもうみんなが言っていたことです。なんせMS-DOSでは25行しかないからね(私はさっさとWindows NT 3.1に行っちゃったので秀Term使いましたが)。
初めてPC-AT互換機を輸入して、CD-ROMを交換するときに5Vのコネクタに上下があるって知らなくて、「ささらない〜」とあせってRTで相談したっけ…。当時の人たちは仲間内のクローズドMLに移りましたが、いまだに交流があります。
mixiに移って再びであった人もいます。切れそうで切れない縁なんで、このままずーっと持って行きたいですね。さようなら、Nifty〜。私は3年ほど前に休会届けを出していたので、そろそろIDが消滅したんじゃないかな。